阿蘇神社
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阿蘇神社
名称 阿蘇神社
神社解説創建は、極めて古く孝霊天皇9年(紀元前282年)6月、健磐龍命の子で、初代阿蘇国造に任じられた速瓶玉命(阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝えられる。 延喜式神名帳には、一宮が「肥後國阿蘇郡 健磐龍命神社」と記載され名神大社に列せられている。健磐龍命は、神武天皇の孫とされるが元々は阿蘇で信仰されていた阿蘇山の神とみられる。 阿蘇神社は、肥後国一宮として崇敬を受け、広大な社領を有していたが、豊臣秀吉の九州征伐の際に社領を没収された。その後、改めて天正15年に300町の社地が寄進され、さらに、領主となった加藤清正、肥後藩主として入国した細川氏によって社領の寄進、社殿の造修が行われた。 阿蘇神社の大楼門は「日本三大楼門」に数えられるており、非常に立派な風格を誇っている。そのほかにも多数の重要文化財を保存している。 熊本方面から車で阿蘇神社に向かうと世界でも有数な阿蘇山の大型カルデラをはじめ、雄大な自然を見ることが出来る。阿蘇神社の楼門は、「日本三大楼門」の一つで非常に大きく圧巻である。 実は訪問日より2日前に、熊本側から阿蘇神社に向かいかけたのだが大雪にみまわれたため、引き返し(3月なので車のタイヤがノーマルタイヤであったため)2日後に再度、宮崎側から訪れた記憶がある。熊本を訪れる機会がある方に是非、阿蘇山と阿蘇神社はお薦めしたい場所である。 |
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