西寒多神社
|
西寒多神社
名称 西寒多神社
神社解説創建は、社伝によると神功皇后が三韓征伐からの帰途、西寒多山(現在の本宮山)に臨幸し、その証として山頂に白旗を立てた。当地の人々はこれを崇敬して籬垣を結んで拝んでいた。応神天皇9年(278年)4月、その地に武内宿禰が祠を建てたのが当社の始まりと伝えている。 国史の初見は、『日本三代実録』貞観11年(869年)3月22日条の西寒多神に従五位下を授けるという記述があり、。延喜式神名帳では豊後国唯一の大社に列し、豊後国一宮とされた。 安時代後期以降は衰退したが、中世以降、領主の大友氏の崇敬を受けた。応永15年(1408年)3月、大友親世が現在地に遷座した。明治4年(1871年)5月14日に国幣中社に列格し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。 神社入り口にかかる橋は、万年橋といい石造単アーチ橋である。江戸時代末期の文久2年(1862年)に竣工され、大分県の有形文化財に指定されている。 西寒多神社に行くのにとても苦労した覚えがある。道がわかりにくいのでだ。管理人は、裏の方から入ってしまったので道幅と車幅がほとんど同じでびっくりした。西寒多神社の名前も読めなくて「ささむた」と読むのも後から知った。 しかし延喜式神名帳に豊後国唯一の大社に列しているため、昔から信仰されてきた神社である。ちなみに祭神である西寒多大神は、天照皇大御神の事だとされる。 |
Copyright(c)2009 戦国電機 All rights reserved. |