別名 矢留城、秋田城 遺構 土塁、堀、門、番所 城の種別 平山城 所在地 秋田県秋田市 秋田市トップページ
戦国大名である佐竹義宣が関ヶ原の戦い後、大幅な減棒にて国替えを命じられ、久保田城を新たに築城したのが始まりである。 義宣は、常陸国で50万石を領しており、その家臣団を抱えて国替えをしたため、既存の城では手狭であったのが新城を築く理由となったようである。 1604年(慶長4年)築城が始まり、完成したのが1631年(寛永8年)頃と言われています。久保田城は、堀と土塁を巡らした城で石垣がほとんど使われず、天守閣をはじめから造らなかった城である。 佐竹家は、江戸期を通じてこの地を治め、幕末には新政府を支持したため庄内藩、盛岡藩から攻撃を受け城下の大半が戦場になってしまったが久保田城は、戦禍っを免れた。現在は、桜の名所である千秋公園として整備されている。
管理人が訪れたのが4月下旬でちょうど桜の見頃であり、平日の早朝であったため人も少なく、桜が大変美しかった。 源氏の名流で関東で50万石を超える大大名であった佐竹義宣が関ヶ原の戦い後に父祖伝来の地を離れて、大幅厳封を受け入れ秋田に国替えになった時の心情は、どうであったのだろう。石垣も天守も築かずじっと耐えて、250年後幕末に新政府支持という結果ですべてわかるような気がする。