お城解説
信濃国諏訪地方は、古来より諏訪神社上社の大祝(おおほうり)を司った家柄であった諏訪氏が領主であったが1590年(天正18年)に諏訪頼忠が転封となり、代わって日根野高吉が治めるようになる。
高吉は、織田信長、豊臣秀吉の下で普請を経験していたことから、1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて織豊系城郭として現在の地に高島城を築城し、石垣を築いて天守も上げた。
1601年(慶長6年)日根野氏は下野国壬生藩に転封となり、諏訪頼水が2万7千石で入封し、再び諏訪氏がこの地の領主となり明治維新まで続くことになる。江戸時代は諏訪藩の政庁であり藩主の居所であった。1786年(天明6年)に石垣などが補修されている。
1871年(明治4年)廃藩置県により高島県となり、1875年(明治8年)に天守以下建造物は破却もしくは移築され、翌1876年(明治9年)高島公園として一般に開放され、1970年(昭和45年)には本丸に天守・櫓・門・塀が復元された。
かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われた。しかし、浮城の異名を持っていたことから日本三大湖城の一つに数えられている。