別名 雨城、霧降城、浦田城 土塁、空堀、井戸 城の種別 連郭式山城 所在地 千葉県君津市久留里 君津市観光協会トップページ
久留里城は室町時代に上総武田氏の武田信長によって築かれた山城で、以降は信長の子孫である真里谷氏が支配した。戦国時代には真里谷氏は衰え、代わって里見氏の拠る所となり、里見氏によって再構築され佐倉城と共に対北条氏の最前線を担った。 豊臣秀吉の小田原征伐の折、里見義康は、参陣せずに上総の所領を没収され、同年に徳川家康が関東に入封し、久留里には松平(大須賀)忠政が3万石で入城した。関ヶ原の戦い後には、土屋氏が入封したが後に改易され代りに入った黒田氏が明治維新までこの地を治めた。 久留里城は、現在本丸のある近世城郭部に加え、安住原地区、怒田遺跡、及び、山麓小櫃川河畔の近世居館部の四つの郭群からなる。この内、江戸時代には近世城郭部と近世居館部のみが城域として維持された。 現在は、城郭地域を城山公園としており土壇の天守台脇に模擬天守が建造されている。
久留里城に初めて行ったのは、10年以上前で自分の車を持ってすぐの時であった。すぐ近くの大多喜城と一緒に回ったのだがとにかく険しい山道で緊張したのを覚えている。(免許取得後しばらく運転していなかったためもあったと思うが・・・) 2009年に再度訪れたのだが懐かしい感じがした。久留里城は、天然の山城であり、同じ里見氏の城であるからなのか大多喜と非常に良く似ている。城から見える風景は、ほとんど変わらずに残っており趣がある。模擬天守のそばには、写真のように土壇でできた天守台がある。久留里城の天守は、石垣ではなく土壇であり、僅か3万石の大名であるにも関わらず天守を有していたのは驚きである。