お城解説
小田原城は、戦国時代に関東全域を支配した後北条氏の城として有名である。後北条氏の時代、八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んだ惣構えは、後の豊臣大坂城の惣構を凌いでいたと言われている。
しかし、1590年豊臣秀吉による小田原征伐が行われ落城、約100年に及ぶ北条氏の支配は終わりをつげた。北条氏の後、関東に入った徳川家康の重臣である大久保 忠世が入城し、関ヶ原の戦い後も引き続き大久保氏が支配した。
その後、阿部氏・稲葉氏と城主が変わったが再び大久保氏が城主として返り咲き明治維新をむかえている。小田原城は、大久保時代に規模を大幅に縮小させたが小田原城を要する小田原藩は、江戸に入る最大な関所である箱根の関所を預かる藩として重要視された。
維新後、建造物はほとんど破却された。残った二の丸平櫓も関東大震災により倒壊した。小田原城跡は、その後小田原城址公園として整備され、昭和35年、天守がコンクリートで外観復元された(天守本来の姿とは違っている)。