別名 白帝城 遺構 天守(現存・国宝) 城の種別 平山城 所在地 愛知県犬山市 犬山市トップページ
1469年(文明元年) 織田広近がこの地に砦を築いたのが始まりといわれる。1537年(天文6年) 織田信康が現在の位置に城郭を築城する(現存する天守の2階まではこのころ造られたと考えられる) 1564年(永禄7年) 城主織田信清は、 織田信長と対立し犬山城は、信長に攻め取られ以後、池田恒興や織田勝長などが城主を務める。 本能寺の変後数人の城主交代を経て豊臣政権では、石川貞清が城主となる。 石川貞清は関ヶ原の戦いでは西軍に属したため、小笠原吉次が城主となる。 1607年(慶長12年) には、徳川十六神将の一人である平岩親吉が尾張名古屋藩主、徳川義直の家老として城主となるがまもなく没し、同じく義直の付家老であった成瀬正成が城主になり、 以後徳川時代を通じて成瀬家9代の居城となった。 廃藩置県後、天守以外はほとんど取り壊された。1895年(明治28年)に旧犬山藩主成瀬正肥に再び譲渡された。 2004年(平成16年)3月時点で日本で唯一の個人所有の城であったが同年4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管されている。
犬山城は、現存する国宝4天守の中で最も古いと言われ且つ最近まで個人所有であったことから一度は、訪れて見たい城であった。 尾張藩の付家老でありながら平岩親吉・成瀬正成は、徳川家康から特に乞われて城主になっており天守は、歴史があり立派である。すぐ近くの名古屋城が空襲で倒壊したことを考えると特に考え深い。 白帝城と呼ばれるのは、儒学者である荻生徂徠が犬山城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで命名したことによると言われる。