お城解説
府内城は、大分の中世の呼び名で鎌倉時代から戦国時代にかけては豊後国の守護職・守護大名であった大友氏の拠点であった。大友氏の時代には、天守などを備えた近世城郭ではなかったため、防備には余り優れてはいなかった。
1597年(慶長2年)12万石を得て臼杵より豊臣秀吉家臣の福原直高が入り、堅固な城郭を求めて築城した。その後、早川長敏が入るが関ヶ原の戦いで西軍に付いた為改易となり、竹中重利が3万5千石で入城し大改修を開始し、1607年(慶長12年)に大改修が概ね終了する。
府内城は、竹中氏、日根野氏と続き、1658年(万治元年) 大分郡2万石を領する松平忠昭が入城すると明治維新まで大給松平氏が居城とした。もともと天守があったのだが1743年(寛保3年)の大火により天守を含む大部分の建造物が焼失してしまい、以後、天守は再建されなかった。
明治維新をむかえた後も遺構が多く残されていたが太平洋戦争の空襲により櫓数棟が焼失してしまった。現在は、大手門・西丸二重櫓をはじめとする建造物が復元されている。