別名 扇城、小犬丸城、丸山城 遺構 石垣、堀 城の種別 梯郭式平城 再建造物 模擬天守、二重櫓、塀 所在地 大分県中津市 中津市ホームページ
周防灘(豊前海)に臨む山国川河口の地に築城された梯郭式の平城で今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられる。中津城は、天正15年(1587年)黒田孝高(如水)が、豊臣秀吉より豊前国6郡16万石を与えられ築城したのが始まりである。 しかし関ヶ原の戦いで黒田家は、筑前52万石に加増移封される。変わって細川忠興が豊前国と豊後国2郡39万石で入封し、大修築を開始する。元和7年(1621年) に扇形の縄張りに拡張され、中津城が完成した。 寛永9年(1632年)細川家の熊本藩転封に伴い、小笠原長次が8万石で入封し中津藩が成立。享保2年(1717年)奥平昌成が10万石で入封し、明治維新まで奥平家の居城となった。 明治4年(1871年)の廃藩置県により御殿を残し、その他建造物を破却する。残された御殿もその後に焼失してしまった。しかし昭和39年(1964年)に旧藩主奥平家が中心となり、市民らの寄付を合わせて模擬天守が建造され現在に至る。
中津城は、堀にせり出した模擬天守がとても特徴的で美しい城である。本丸跡北面に残る石垣は左右でその造り方がはっきりと異なっており、右側の石垣は黒田孝高が戦国期に作ったため非常に堅固で平安の時代に細川家が築いた左側の石垣とは、対照的でおもしろい。 現在は、城跡に奥平神社をはじめ天守等の再建造物があるがもともと中津城には、天守は無かったのとの見方が一般的で3重櫓が天守の代わりであったとみらている。しかし、黒田、細川という大大名が築いた城は、当時非常に立派であっただろうと容易に想像ができる。