お城解説
1616年(元和2年)有馬直純が日向国延岡藩に転封になり、代わって松倉重政が有馬氏の居城であった日野江城に入城する。元和4年(1618年)に島原城の築城を開始する。
城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴である。総石垣で5重5階の天守と櫓49棟を建て並べており、当時4万石の大名には、大きすぎる城郭であった。この築城時の過酷な普請工事が一つの原因となり島原の乱が起きている。
島原の乱の責任をとる形で松倉氏は、改易となり以後譜代が4家が入封した。城下には、家臣の屋敷が並び現在、一帯を武家屋敷群として保存している。明治に入ると民間に払い下げられ、天守以下建造物が全て破却される。しかし昭和35年に西の櫓が復元され昭和39年には、天守が復元された。以後も建造物が復元され現在に至る。