長篠の戦い
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概要
戦年月日 1575年6月29日
交戦場所 三河国長篠城、設楽原
交戦戦力 織田・徳川軍 38,000 / 武田軍 15,000
勝敗 織田・徳川連合軍の勝利
長篠の戦い起こる時代背景
1573年8月、武田家家臣であった奥平貞昌(後の奥平信昌)は武田信玄の死に際し、父・貞能の決断により一族郎党を連れて徳川方へ寝返る。家康は武田家より手に入れたばかりの長篠城に貞昌を配したため、2年後の1575年4月、武田勝頼は1万5000と号する大軍を率いて長篠城を包囲する。
武田の大軍に対して長篠城は500の寡兵に過ぎず、鉄砲などで激しく抵抗すると同時に家康に援軍を要請する。その頃、家康は予め織田家に援軍を要請していたため、信長は既に5月13日には3万の軍勢を率いて岐阜を出発し、岡崎城に到着していた。
信長軍3万と家康軍8000は、長篠城手前の設楽原に着陣。設楽原は原と言っても川に沿って丘陵地が幾つも連なる場所であり、川を挟む台地の両方の斜面を削って人工的な急斜面とし、さらに三重の土塁に馬防柵を敷くという当時の日本としては異例の野戦築城をする。
一方、信長到着の報を受けた武田陣営では直ちに軍議が開かれた。そこで信玄時代からの重鎮たち、特に武田四天王といわれる山県昌景、馬場信春、内藤昌豊らは信長自らの出陣を知って撤退を進言したと言われるが、勝頼は決戦を行うことを決定し、長篠城の牽制に3000ほどを置き、残り1万2000を設楽原に向けた。
5月20日夜、東三河衆の他、織田軍・金森長近などの与力、計約3000名という連合軍が、密かに豊川を渡河。長篠城近辺に留まる武田支軍に対し、尾根伝いに南側から後方へ回り込むと、翌日の夜明けには長篠城包囲の要であった鳶ヶ巣山砦を後方より強襲した。これにより鳶ヶ巣山砦をはじめとする各砦を全て落とすことに成功した。この鳶ヶ巣山攻防戦によって武田方は、主将の河窪信実をはじめ、名のある武将が討死をする。
5月21日早朝、武田軍が動き合戦が開始され戦いは昼過ぎまで続いた(約8時間)。武田軍は善戦し、土屋昌次らは三重に築かれた馬防柵のうち2段目まで突破し織田・徳川軍に6000名近い犠牲者を出した。しかしその後、猛反撃を受け総崩れとなり、敗走する武田軍に織田・徳川軍は追撃を行い武田軍は1万2000名の犠牲(鳶ヶ巣山攻防戦も含む)を出した。 この戦にて武田四天王の山県、内藤、馬場を始めとして、原昌胤、原盛胤、真田信綱、昌輝(真田昌幸の兄)、土屋昌次、土屋直規、安中景繁、望月信永、米倉重継という重臣がことごとく戦死し、武田家の被害ははかりしれないものとなり、結果は織田・徳川軍の勝利となる。
長篠の戦いの影響
この戦いでの最大の影響は、戦国最強を誇っていた武田騎馬軍団が崩壊し、織田信長を脅かす敵がいなくなったことである。この戦の直前まで信長には、東は武田家、西は石山本願寺という大きな難敵が存在していた。
当時信長は、畿内の大半を手中にしており、単独で戦える敵はこの2家位であっただろう。しかし武田家は、武田信玄が既に死去しており、急速に領土を拡大していく信長に対して対抗できるのは、これが最後だったと思う。
対して信長は時が経てば、兵力の差が大きくなるのは容易にわかっていたのでこの時は、徳川家康への義理立てと当時の新兵器である鉄砲の実用性を試すと同時に武田家を甲斐に引かせることにあったと管理人は、考えている。
実際、この戦にて信長は1000丁以上の鉄砲を導入したといわれる。この時、三段射ちという戦法を使ったといわれるが現在では、疑問視されているようなので戦法に関しては言及しないが当時大変高価な鉄砲を1000丁も用意できた信長軍団の財力は、はかりしれない。
結果信長は、予想外の大勝をし武田家に壊滅的打撃を与える。この時の武田家の一番の痛手は、信玄の手足のように働いてきた重臣がほぼ全員戦死した事、これにつきると思う。軍団の中核をなす人材(各指揮官)が突然いなくなれば、後は彼らに頼りきっていた若者ばかりになってしまうので家が成り立たなくなるのは当然である。
なぜこんなにも重臣が戦死してしまったのだろうか。武田家の騎馬隊の強さは、各指揮官が先頭に立ち、鉄の統制で前の敵を脅かすという騎馬隊の威力を最大限に発揮した戦術であったようである。このための狙い撃ちされやすかったとも言われる。なんにせよ重臣がほぼゼロに近くなった武田家は、これよりわずか7年で滅亡してしまう。
この戦に勝利した信長は、これより鉄砲を戦の要として領土を急速に拡大していく。徳川家康は、この戦で三河を完全に掌握し、駿河・甲斐と領土を拡大していくこととなる。なおこの戦の開戦の原因を作った長篠城主である奥平貞昌は、後に信長の偏諱を賜り「信昌」と改名し、家康の長女・亀姫を貰い受け正室としている。奥平家は、家康の縁戚として子々孫々を通じ厚遇され、明治維新まで豊前中津を領した。
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