井伊直政
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略歴
永禄4年(1561年)2月19日、今川氏の家臣である井伊直親の長男として、遠江国井伊谷で生まれる。直政2歳の時、父直親が謀反の疑いから今川氏真に誅殺され、
直後生母が今川氏の家臣松下清景と再婚し松下虎松と名乗るようになる。
しかし井伊氏は、所領を失い直政は、養母である直虎に育てられるようになる。天正3年(1575年)、徳川家康に見出され、井伊の姓に復帰しやがて井伊氏の旧領である井伊谷を
与えられ、家康の小姓として取り立てられた。同年養母直虎が死去し家督を継いだ。
高天神城の攻略を初めとする武田氏との戦いで数々の戦功をたて家康の信頼は厚くなり、22歳で元服し名を直政と改め、同年家康の養女と結婚する。
その後、旗本先手役に任ぜられ、若干23歳で井伊谷4万石を領するなど活躍を見せる。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは池田恒興を討ち取るなどの武功を挙げ、天下に名を知られるようになり天正13年(1585年)には、
井伊谷6万石に加増される。小田原の役の後、家康が江戸に入ると直政は、直政は上野国箕輪12万石(群馬県高崎市)を与えられる。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで
島津義弘の軍を追撃している際に敵の銃弾が右肘関節に命中し、落馬。関ヶ原の戦いの後は数々の功により、石田三成の旧領である近江国佐和山18万石を与えられた。
慶長7年(1602年)2月1日に、長年の家康に対する奉公による過労と関ヶ原で受けた鉄砲傷が元で、死去した享年41歳。その後、
彦根城の築城が開始されると同時に佐和山藩は廃藩となり、新たに彦根藩が置かれ以来明治維新まで井伊氏が治めた。
井伊直政とは
井伊直政は、徳川四天王(本多忠勝・榊原康政・井伊直政・酒井忠次)の一人として有名である。しかし他の3人は、徳川の名門譜代であるのに対し直政は、
徳川の生粋の譜代ではなく、幼かったとはいえ元々今川家の家臣である。しかも他の3人とは年齢が一周りも離れている。(酒井忠次とは、2回り以上離れている)
このことから直政がいかに有能であったかが容易に推測できる。もともと家康率いる三河軍団は、家康と譜代家臣の結束が非常に強く外様の直政は、非常に苦労しただろう。
ただ譜代家臣に認めさせるだけの力量が直政にはあった。
一つが直政の統率力である。これは、直政が大将にも関わらず自ら敵と槍を交えるのを好んだ性格もあるが家康が武田氏の旧領である信濃国、
甲斐国を併合した時に直政が当時戦国最強と謳われた武田の旧臣を数多く召抱え、武田信玄の重臣、山県昌景の朱色の軍装を復活させて井伊の赤備えと呼ばれる精鋭部隊を率いたことが大きい。
もう一つが直政が武力だけでなく政治的手腕にも長けていたことである。北条家との交渉を始め多くの大名家と交渉をし、豊臣秀吉からも高く評価され従五位下侍従・兵部少輔に叙任されている。
関が原の戦いでも、本多忠勝と共に東軍の軍監に任命され、東軍指揮の中心的存在になった。同時に全国の諸大名を東軍につける工作を行い、戦後処理と江戸幕府の基礎固めに尽力している。
このように直政は、知勇兼備の武将として徳川家に無くてはならない家臣であり、家康は非常時に皇室を守るため、京都に近い彦根に代々勤皇の家柄である井伊家を配し、
且つ北陸と京都を結ぶ交通の要所である彦根を守らせることで軍事的役割も期待している。直政の死去後に彦根藩は、徐々に加増され最終的に35万石の大大名になった。これは、譜代大名で最大の石高である。
総評
直政の徳川家に対する貢献度は、非常に高いと思う。家康の三河軍団は、非常に結束が高く、戦闘にも長けている。中でも松平の名を持つ松平家(徳川家)の支流と本多、
大久保、酒井等の譜代家臣は初期の家康に対して面と向かって意見をし、聞き入れられなければ出没する(他大名に仕えるものは少ないが)という君主としてではなく、リーダーとして家康を見ていたと思う。
その中で直政は、外様で家康の力により旧領に復帰しており、家康という人物に完全に心酔している若者である。家康も譜代の家臣よりも直政と対する方が気が休まっていたのではないか?
(家康と直政は、修道の間柄であったとも言われている)
自然に家康は、直政に注文を出し直政も忠実にこなしていく。家康は、だんだん責任ある注文を出すが直政は、着々とこなし、家康の期待にこたえていく。
その段階で直政の力量は、どんどん高くなり、家康の信頼もゆるぎないものになっていったのではないか?
家康としては、直政の早すぎる死を大変悲しんだだろう。ただ徳川家は、井伊直政の功績に報いるために井伊家を譜代最大の大名にし老中の上に位置する大老になれる家柄を与え、
そして江戸時代通して国替えをしなかったことで報いたといえるだろう。
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獅子の系譜 津本 陽(著)
徳川家譜代の家臣ではないにもかかわらず徳川四天王の一人に挙げられた知勇兼備の武将、井伊直政
彼の実像は、激しい気性と冷静な判断力が同居する男であった。直政の生涯を描くことで徳川家の天下統一までの道のりを描いた歴史小説。
井伊直政と徳川家康の天下統一までの道のりが同時にわかる内容となっています。
獅子の系譜 (文春文庫)
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